憂いは秋のせいだ
どうもこんばんは。いっぽです。
ついこの間まで夏だった気がするんですが、気が付けばマフラーを使うかどうか真剣に悩むくらいの気温になっていて「時の流れは平等で、とても残酷だ」ってシンガーソングライターみたいなリリックが浮かびがちです。なんとか生きています。
私は秋の空がすごく好きで、中高生の頃からこの時期になると、なんともなしに空を見上げてぼーっとするような時間がありました。
空が高いって言いますけど、見上げてると距離感を喪失してしまいそうになる、何処にいるのかわからなくなるみたいな、あの感覚は一体なんなんでしょうね。あの感覚が好きで好きで、夏が終わって涼しくなると大体、校舎のベランダで空き時間を潰していました。「君もサボりかい?」とか上の階から語りかけてくる美人な生徒会会長との出会いとかはなかったです。
今では空を見上げてぼーっとするような時間は無くなりましたけども、それでも気持ちよく晴れた秋の日には空を見上げたくなりますし、それに反して気持ちは低空飛行したりします。
あの時の自分が何を考えていたのかを思い出そうとしても、特に思い出せることはなくて、ただなんとなく、色で言うと紺色みたいな精神状態だった記憶だけがあります。そのせいか秋の空は、自分にとって憂鬱のトリガーだったりもします。
憂鬱ってのはすごく厄介で、前に進むでもない、事が捗るわけでもないのに、居心地だけはやたらよくて。酔いが醒めてきたときみたいな気怠さと気持ちよさがあって。人と騒いでて楽しいときと同じくらい、私は憂鬱が好きです。
喜怒哀楽で行ったら哀と楽の部分なんですが、この2つは自分にとって、どっちもあるからどっちも良いというセットで機能している部分になっていると思います。楽しいことだけで生きていけるに越したことはないですが、人間そう単純ではないですからね。
この前の休日、昼飯を買いに行ったときに、快晴の秋の空を見上げてぼーっとする時間がありまして。あの時ベランダで過ごした時間から、少しは変わったのかな、なんてことを考えてしまいました。
変わった部分もあるし、変わってない部分もある。けど、秋になるたびに空を見上げて、物思いに耽る習慣は、自分の人生に天変地異でも起きない限りこのままだろうなと、そう感じました。
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いや無理や。文章が臭すぎる。サメのリュック背負ってる金髪ボブの男みたいな臭いする。
ちょっと雰囲気出したろwと思って普段しない書き方したらクサすぎて体が草になっちゃった。燃やしてくれもう。
秋、好きなんですよ。最近気分が滅入るのは全部秋の気候のせい。でも好き。
前向きなのも後ろ向きなのも、方向が違うだけで持ってるエネルギーってそう変わらないと思ってるんですよ。だからどっちも好き。ポジとネクラは使い様ですよ。知らんけど。
最後にドリカムの空を読むでも貼っておこうかと思ったんですが、クッサい空気に辛抱たまらなくなって限界なので、辛気臭すぎて最高な曲を貼っておきます。
では。