いつもの景色が変わる瞬間
どうもこんばんは。いっぽです。
仕事が手につきません。
~~~
ヨルシカというアーティストがいまして。
今年、2019年に「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」っていう2枚のフルアルバムが立て続けにリリースされました。
YouTubeで初めてヒッチコックのPVを見て聞いた瞬間から「なんだこいつ!?やべーことやってんな!?」と思っていたんですが、諸般の事情でCD買ったりする余裕がなかったんですよ。
今までAmazonPrimeで聴けるミニアルバム2枚は聴いてたけど、上記のフルアルバム2枚は手を出してない状況(ノーチラスのPV見て顎が外れたりはしていた)だったので、いつかCD買ったら、コーヒーでも淹れて歌詞カード片手にじっくり聴こうと思っていたんですよ。
つい先日、生活も落ち着いてようやくその機会が訪れて、2枚通して聴いた結果、心がワァワァになりまして、ライブやってるなら行くしかない、いや行かなきゃダメだ、音源でさえこれだけの熱量を持ってる音楽を、ヘッドホンで聴くに留めるのは、直に体験しないのはもはや冒涜だろうと、途轍もない衝動に駆られてライブの日程を調べたら、ツアーの追加公演がなんと今日(12/11)で、一般販売なんてとうに終了していて、
現在に至ります。
仕事が手につきません。もう夜しか眠れません。助けてくれ。
~~~
「この2枚のアルバムは対になっていて、<だから僕は音楽を辞めた>を書いた少年エイミーの旅路を辿っていくのが<エルマ>でエイミーの残した詩を頼りに~~」みたいな話はもう優秀な考察記事とかがたんまりあるから勝手に探して読んでくれ。
もともと俺は考察とか苦手だし、まずは音楽を聴いてくれよと思う。楽しみ方の一つとして考察っていうスタイルは否定しないけど、それによって起きる価値観の固定・強要みたいなのが起きるくらいなら、最初から触れないほうがいい。そもそも、そういう話がしたかったらこの記事のタイトルは「人生の価値は、本当に"終わり方"だろうか」みたいな感じにしてる。なので、その辺の話はしませんよ、という前置き。
最近はYouTubeやストリーミングで音楽を聴くことが増えて、アルバムを通して聴く機会って減ってるのかなと思います。わざわざCD買って取り込んで転送して~なんてやるの面倒だしね。当然だと思う。
アルバムを1枚通して聴くってのは、映画を見るとか小説を読むとかに近い体験だと自分は思っていて。通しで聴き終わった後のあの感じ、本で言うところの読後感っていうんですか、あの喪失とも開放ともいえない感じがとても好きなんですよ。
こういった作品が自分の価値観に与えてくれる影響ってものすごく大きくて、毎日見てるはずの変わらない景色が、急に色づいて、意味をもったものになることがある。
以前渋谷の方に勤めていたとき、帰りに読んでいた本が丁度面白いところで(たしか宮部みゆきの「模倣犯」のラストだったと思う)途中で足を止めて、喫煙所で一服しながら最後まで一気に読んだ覚えがあります。
そのときはもう、凄くて。渋谷ってホントに人が多くて散らかってて雑多な街なんですけど、1冊読み終えた帰りに見た景色は、人も夜空も街頭でさえも全部意味を持って頭の中に入ってきて。具体的には説明が出来ないんだけど、いつもと変わらないはずの景色が、確かに変わった瞬間だったんですよ。
「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」を初めて聴いてから数日経ちますが、通勤中はほぼこの2枚を聴いていて。
今朝、職場の最寄駅で電車を降りて、駅を出たところで見た曇り空と、ホームに滑り込む電車と、仕事に向かう自分の革靴の先っちょを見て「あ、いつもと違う」となりました。
だからといって急に仕事を辞めてバンド始める、とかじゃないんですけど。心なしか革靴は軽くなった気がしました。以上、今日の日記になります。
~~~
本当に、ものすごいエネルギーを持ってるアルバムなのでみんな聴いてみてほしい。
以下追伸です。
<追伸1>
12月の追加公演はさておき、今回来れなかった人の為にも何れ月光の再演を行いたいと思っているので気楽に待っていてください
— ナブナn-buna (@nabuna2) 2019年10月22日
マジ!?!??!?!?!?!?!?!??!?!?!?!?!!??!?!?!?!?
待ってます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
<追伸2>
改めて藍二乗のPVを見ていて「あれ?」と思いまして。
気に入って使っている万年筆と、少し前に買ったインクを引っ張り出してみたところ、
俺はエイミーだった………………?
(月夜はほんとにいい色が出ます。オススメです。)
お終い。