大腸小腸絶不調

生活は下手クソですが、得意気に生きるのは得意です。

タトゥーと虚像

どうもこんばんは。いっぽです。

 

スト5が面白くてブログどころではなかったんですが、先日「夜桜たま生誕祭」という単語を見つけてゲボ吐いちゃったんでインターネットの皆さんにおすそ分けに来ました。まぁまぁ遠慮せずに。温かいうちにどうぞ。

なんかなぁ。確かに気持ちはわかるけど、もう少しこう、なんとかなんないのかなと思って。そんな話。

 

一応言っときます。こっから先「中の人」みたいなワードが出てくる話になると思うんで「そんなの読んだらゲボ吐いちゃうよ!」って人は直ちに撤収しといてください。宜しくお願い致します。

 

 

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え、知らない?夜桜たまを?そんなはずあるめぇよお前様よ。

 

ドットライブってあるじゃん。電脳少女シロちゃんとか、スーツに馬の被り物のヤツとかがいる事務所。あそこのアイドル部って箱に『いた』麻雀大好き新衣装エッチすぎワロタVTuberこと夜桜たまのことだよ。

 

わざわざ二重かぎ括弧使ってまで過去形にしましたね。

これを書いている2020年2月現在、もうこの世界に夜桜たまはいません。彼女は事務所と揉めてドットライブでの活動を辞めました。

そして、夜桜たまの魂(VTuber界隈では中の人を「魂」と呼ぶのをよく見るのでそれに倣う)は、現在違うキャラクターとして個人で活動しています。「転生」ってやつですね。公言はしていませんけど。

 

ここまではまぁ、まだ良いんですよ。言うてまだV界隈も黎明期だし、完璧に動けてる事務所がいる方が珍しい。ファンが追ってるのは事務所ではなく人だから、事務所辞めて個人でやるってのも理に適ってる。強いムーブだと思う。

ここまではいい。今回ゲボ吐いちゃった原因は受け手の行動です。

 

 

先日、ふとツイッターのトレンド見たら「夜桜たま生誕祭」ってハッシュタグがあってですね。念のためもっかい言うけど、もうこの世に夜桜たまはいないし、中の人は事務所と揉めた末に、個人で別のキャラクター演ってます。

 

「なんでだろう?」と思ってハッシュタグ覗いてみたら、イラストやらなんやらでみんな夜桜たまの誕生日をお祝いしてるんですよ。「いつまでも大好きです!」なんてご丁寧に素敵なメッセージまで添えて。

 

もう胃の中のモノ全部出てきちゃったよね。なんなんだろうこの不気味さ。こっちの常識が全く通用しない信仰に出会ったみたいな。

 

これがさ、亡くなったミュージシャンとかなら全然わかるんですよ。もうどうやったって会えないし、特定の日に想いを馳せるくらいは残された方の自由だと思うんだけどさ。

ただそれと同じことを、今も生きて別の道を歩もうとしてる人に対してやるのは、なんかこう、配慮に欠けてないか?というゲロ。正解のないゲロです。

 

転生して活動を始めた中の人は、このハッシュタグ見てどう思うんだろうとかさ、考えちゃうじゃん。苦悩しなかったってことは無いだろうし、いろいろな決断の末に「次」を頑張ってるのにさ、なんとか折り合いをつけて別れたキャラクターに愛を送られるのって、何さ。想像するとマジで内蔵がサイケデリックになる。傍から見た勝手な想像なんだけど。

 

多分これ、VTuberの魂を見てるか見てないかの違いなんだなっていうのが今回得た気付きで。

ご覧の通り自分は魂の方に面白さを感じているんだけど、そうじゃない人は案外多いのかもしれない。配信の向こうで喋ったりゲームしたりしてる「人」じゃなくて、キャラクターっていう厚めのレンズ越しに出来た虚像を追ってる人たちが、結構いる気がする。その虚像に魂は無いことを思うと、なんかなぁ。やるせなくて。

 

でもまぁ、人の心をつかんだ痕は「ハイやめました」で消えないってのも、気持ちとしてはすごくわかる。対象がいなくなっても魅了された事実はずっと残るし、どんどん美化されていくからタチが悪い。自分も好きなVTuber聞かれたときに「今活動してる中では」って頭に付けたいくらいのお気持ちがあるけど、これは奥の方にしまっておくことにしてます。表に出してもいいこと無い、と思う。 

 

なーんて言ったらいいのかな、良くも悪くもすごく人間臭いところが、VTuberの面白いとこだなと自分は思ってまして。中の人を意識しろっていうのは違うけど、魂込みで成り立ってるものだって認識がないのは、なんか、俺はイヤだなって、そんな話です。ゲロゲロ。

 

いっぱいゲロ吐いてスッキリしました。すこやかじゃない絵を見て寝ます。

 

 

では。